マレーシア(新体操): Makoto 「言語や人種を超えて選手と同じ気持ちに」

佐藤 真 (ニックネーム: Makoto )

国と都市,指導言語:マレーシア国 クアラルンプール, 英語
職種:新体操コーチ
海外指導歴:    
1998年~2000年 ジンバブエ国 ハラレ
2000年~2002年 マレーシア国 コタキナバル
2011年~現在   マレーシア国 クアラルンプール
Website: Serdang Rhythmic Gymnastics, Facebook


—現在,どのようなスポーツ指導に関わっていますか?

5歳児からシニアの選手まで,幅広く指導しています.

年に一度, (中体連や高体連のような)学校対抗全国大会が開かれ,そこでは団体,個人の両方が開催されます.

それ以外の大会では,ほぼ個人のみのため,個人とレベル別の大会が主になります.レベル別では6段階に分かれており,2段階目から,どんなに小さい子でも徒手を含めた6種目の演技を指導しています.


 

—海外でのスポーツ指導ならではの,一番楽しいことは何ですか?

言語や人種を超えて選手と同じ気持ちになって,喜んだり,怒ったり,一喜一憂できることは,本当に嬉しいことです.海外とは限らず,子供の吸収の良さ,日々の成長を見られることが楽しいです.

 

—日本でのスポーツ競技歴や指導歴は?

日本での競技歴は,小学3年生より13年間です.

大学時代に指導に興味を持ち,大学卒業後にジンバブエで指導を始め, ジンバブエ国の代表コーチになりました.その後,マレーシアへ行き,州代表コーチとなりました.

2002年に日本に帰国してからは, 母校である北星学園女子高等学校の新体操部コーチを8年間つとめました.そして,新体操ジュニアクラブ HOKUSEI☆R.G. を創設しました.


 

—海外でのスポーツ指導はいつからですか? そのきっかけは?

「いつか海外に行ってみたい,見てみたい」とは,小さいころから思っていました.

大学卒業を間際に控えた頃,実は高校の教諭職も決まっていたのですが,「人には出来ないことや英語を話せるようになりたい」という気持ちが強く,大学教授の紹介でジンバブエに向かいました.

 

—海外でスポーツ指導を始めたときの会話力は?

ゼロです.

ただ,外国人の先生の多い学校で育ちましたので,そこで外国語を聞くことには慣れていたのかもしれません.

 

—スポーツ指導の会話力向上について,経験談を教えてもらえますか?

ジンバブエに着いて最初の1か月は,何を言われているのかさっぱり分からなく,”英語を全く聞きたくない病”とでもいうのでしょうか.日本の活字を恋しく思いました.

3か月たった頃でも,自分の言いたいことをうまく伝えられず,涙しか出ない状況でした.そこで,とりあえず耳から入る言葉を練習ノートの片隅にカタカナでメモを取り,家に帰っては辞書で調べてノートに書く,ということを始めました.この英語ノートも,帰国の頃には結構な量の単語帳になりました.今思うと,カタカナから英語のスペルを推測して調べることが,私の力になったように思います.

そして,指導する相手は小さな子供たちなので,新体操を教える代わりに英語を教えて貰いました.辞書を片手に練習です.


 

—指導に関して日本と違うと感じることを,教えてもらえますか?

私は,日本人であり,日本で育ってきたので,日本人的な指導しかできません.

会ったらご挨拶,使った物は片づけます.人の気持ちも考えます.

こんな事がありました.私が大きい子供たちを指導中に,小学1年生たちが練習を終えて帰る時の出来事です.ある子が「バーイ」と言いながら私の後ろを通って帰りました.それに続くお母さんが私の前を横切ったのを見て,その子が「ママ! Makotoの前を横切ったら,お姉さんたちが見えないでしょう!!」と叫びました.「7歳児さんでも,色んなことを理解できているのだなあ」と感心しました.

また,海外の指導が2回目の頃には,「日本ならこんなはずがない」「日本人だったらもっと理解してくれるはず」と,日本に帰国した際に,日本をかなり美化している自分がいることに気付きました.こう考えると,どの国でもある程度の違いは受け入れられる自分になっています.


 

—これから,どのようなスポーツ指導者になっていきたいですか?

今は選手育成の立場にいますが,もう一度,国際大会に出ていくような選手を育てたいです.

 

そちらの国での日本人スポーツ指導者の需要はあると思いますか?

マレーシアでの外国人コーチはロシア人が主流ですが,西洋人と東洋人の違いから怪我などをさせてしまったりしているように思います.東洋人の事は日本人の方が良く解っていると思いますし,東洋人の骨格を理解した専門的指導が,この国にはまだまだ必要のように思います.

 

 

—最後に,海外でのスポーツ指導に興味がある人達へのメッセージを.

私には,「なんで誰でも出来るような仕事しかできないのだろう」「私にしか出来ないことはないのだろうか」と,卑下して悩んでいる時間が結構長くありました.

自分の前に与えられている小さな事でも,いつかは花開きます.そこを信じることが,指導者には必要に思います.こう考えられるようになったのも,本当につい最近の事です.

特に,私が教えている新体操競技は生涯スポーツではないので,蕾の時間が長い割には,花咲く時間は一瞬です.その選手が成長を遂げる一時しか,私達には携わることがないので,5年後,10年後に色々な国から送られてくる選手たちからの便りに触れると,「本当にやっていて良かった」と思います.

たとえば,私は,こんな贈り物を手にしました.

ジンバブエで私と一緒に新体操を始めたJanine Murrayは,2009年に三重で開かれた世界選手権や,2012年のロンドンオリンピックに,オーストラリア代表として出場しました.

Janineのお姉さんのLauren Murrayは,ドイツのバレエ団で男の人たちに引けを取らないジャンプをしています.彼女は,「Makotoがジャンプの仕方を教えてくれたから」と感謝の手紙をくれました.

現在アメリカで活躍中のEvgeniya Chernukhinaは,ロシアから日本への留学中に指導しました.「思春期のダイエットの難しさを一緒に考えてくれた」と,手紙が届きました.「あの時がなかったら今の自分はないです」と.

私達にできることは,本当にちっぽけなことかもしれませんが,海を渡る日本の親善大使になれたら素晴らしいと思います.

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